自分と現実での戦争
最近になって、やはり生きるという事は自分以外と戦う事なのだと思い始めた。
ネットで「人生 戦う」「現実 戦う」などのキーワードで検索を掛けても特にこれといったサイトや記事は引っかからず、人生とは現実と戦う事だ的な啓発をしている人はあまり見掛けなかった。飽くまで主観ではあるが。
だから改めて自分の考えをここに書き記そうと思う。人生とは戦いであり、自分と世界との戦争である。
臭い物言いではあるが、これを見てくれている人の中には何となく感じる物がある人もいるはずだ。というか、いてほしい。
人間、常に楽しい思いばかりをしていられるほど単純な生き物ではない。例えば他人と衝突する場面が訪れたり、怪我をしたり、思い通りにいかなかったりと様々なシーンがある。
ちなみに俺が切に感じるのが他人との衝突だ。
なので、ここでは他人との衝突について述べる。
多分、世の中では8割方以上の人が避けては通れないであろうもの。それは”嫌な奴”との遭遇だ。
これは俺みたいに意思の弱い人には、人生における死活問題であり生涯の課題でもあると思う。
嫌な奴というのは自分からすれば所謂敵となる訳だが、意思の弱い人間からすれば敵というよりそれを通り越して恐怖の存在でしかないだろう。
意思の強い人であればそういった嫌な奴は無視をしたり、出来るだけ関わらなかったり、覚悟を持って戦ったりと色々な対処をするのだろうが、意思が弱いとそうもいかない。
戦う事ができないのは勿論の事、無視をしたり関わらなかったりしたとしても、頭の片隅にはいつもそいつの存在があるのだ。
意思が弱いから完全にそいつと決別する事ができない、意思が弱いからそいつと少なからず分かり合えるかもと甘い考えを持ってしまう。
でもそれじゃ駄目なんだ。戦えよ、そいつと。
自分の気持ちを偽って気に入られようとすんな、自分という人間を殺さずにそいつを殺す気構えで生きてみろ。他人の事で悩むって事は、その事で苦しみ思い煩ってるからだ。
何でたかが他人如きで自分が苦しまなきゃいけない、しるかよそんなもん。
自分には戦う勇気も覚悟も気力も自信もない!
で、それがどうした!?
だからって、戦う事を諦めはしねぇぞ!! ガムシャラでも気合でも空元気でもいいから戦うんだよ
現実と、世界と、そして人間と。
と、思うこの頃でした。